2012年2月

東京/横浜アルキテクト ー(89)ー

 

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   カップ・マルタンの波間に消えたモダニスト   ル・コルビュジェの建築  19

 

 

 

 

 

フランス・日本など6カ国が共同で、コルビュジェの22作品が世界遺産に申請されていますが、その中には「ロンシャンの礼拝堂」・「ラ・トゥーレット修道院」・「フィルミニのサン・ピエール教会」の三つの宗教建築が含まれています。

 

 

 

国立西洋美術館と同時期のコルビュジェ晩年のこれらの建築は、彼の建築を知る者を驚かせ、かつ裏切った傑作であり、コルビュジェという建築家をより複雑に、理解し難いものにした建築と言ってよいでしょう。

 

 

 

 

 

 

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こちらは1955年に完成した、コルビュジェ作品の中でも最も有名な「ロンシャンの礼拝堂」、正式名称は「ノートルダム・デュ・オー礼拝堂」といい、カトリック・ドミニコ会派の礼拝堂です。

 

 

 

 

シェル構造を採用した薄くうねった屋根、それを浮かせているかのように見せる、傾き、湾曲した巨大な厚い壁。その壁にランダムに穿たれた小さな開口部から幾条もの光が差し込む。

 

 

 

 

ここにはコルビュジェが提唱した「近代建築の五原則」はどこにも見当りません。

 

 

 

 

「ピュリズム(純粋主義)」と呼ばれた白い端正な箱とは対極に位置するこの建築は、「ブルータリズム」と呼ばれ世の人々を驚愕させました。

 

 

 

 

 

 

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もともと巡礼の地であったロンシャンの小高い丘には、中世に建てられた礼拝堂があったのですが第二次大戦でナチス・ドイツの空爆により破壊されてしまいます。

 

 

 

戦後、ロンシャンの人々は礼拝堂の再建を願い、マリ=アラン・クチュリエ神父によってコルビュジェに設計が依頼されたのです。

 

 

 

 

ダ・ビィンチやミケランジェロの例を挙げるまでもなく、かつて教会は最先端のアートと深く結びついていました。しかし、次第に信仰と芸術は離ればなれになってしまい、人々の信仰心も薄れていきました。

 

 

 

 

信仰と芸術が一体となっていたかつての教会を取り戻すには「才能のない信者より信仰のない天才が必要だ」と考えていたクチュリエ神父はコルビュジェに設計を依頼します。

 

 

 

 

初めコルビュジェはこの依頼を頑なに断っていました。「私は信者ではない。しかも両親はプロテスタントだ、カトリックの仕事には抵抗がある」 コルビュジェは道徳的な立場で難色を示したのです。

 

 

 

 

しかし、クチュリエはこう言います。「私たちはあなたが何を信じていようとかまわない。ただ、この時代の最高の芸術家に最高の仕事を頼みたいだけなんだ・・・」

 

 

 

 

そしてクチュリエの想いがコルビュジェの心を動かしました。1950年、コルビュジェはロンシャンとラ・トゥーレットの設計を承諾します。

 

 

 

 

コルビュジェが創造する祈りの空間が現実のものへとスタートしたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京/横浜アルキテクト ー(88)ー

 

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   カップ・マルタンの波間に消えたモダニスト   ル・コルビュジェの建築  18

 

 

 

 

 

 

設計から7年、様々な困難を乗り越えた末、1952年10月14日マルセイユのユニテダビタシオンは完成しました。

 

 

 

落成式の席上でコルビュジェは、多くの議論を巻き起こした外壁の表現についてこう語っています。

 

 

 

「コンクリートという材料は、そのまま自然のままの状態で剥き出しにしても、人造石のような輝きを放つものである・・・」

 

 

 

 

 

 

 

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この荒々しいブルータルなコンクリート打ち放しの表現は、若かりし頃、コルビュジェが師と仰いだオーギュスト・ペレから受け継いだものであり、その彫刻的な造形の可能性をもつ近代的な材料に、コルビュジェは深い愛着を抱いていました。

 

 

 

 

 

 

 

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当時においては革新的であったプレキャストコンクリートを多用した工法も、現代では極めて常識的なスタンダートになっています。

 

 

 

 

 

 

 

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まるで現代彫刻の造形美を思わせる屋上庭園。コンクリートによる造形の可能性を感じさせます。

 

 

 

 

 

1953年夏の夕べ、CIAM(国際建築会議)の祝賀会がこの屋上庭園で催されました。その席上でウォルター・グロピウスはこう述べました。

 

 

 

「この建築の美しさがわからない建築家は、ただちにペンを捨てたほうがよい・・・」

 

 

 

 

 ル・コルビュジェが設計したマルセイユの「ユニテ・ダビタシオン(住居単位)」という名の巨大な集合住宅。そこで彼は、理想的な近代の生活スタイルを想定し、垂直に伸びるひとつの都市のような建物を造り上げました。

 

 

 

 

マルセイユのユニテ・ダビダシオンは、永年コルビュジェが主張しつづけた都市・建築・人間の集団生活についての理念を統合したものです。

 

 

 

「彼の悲願が如何にしてかなえられたか、彼の悲願は同時に我々の夢ではないのか、フランスでの彼のながい闘いは、日本の国土に移してわれわれにとって如何なる意味をもつのか、日本においてもわれわれ建築家たちにとって最大の関心事は住宅問題である筈であるのに、実際にはどうしてわれわれのタッチし難い分野になっているのか・・・」

 

 

と、コルビュジェに学んだ坂倉準三は語っています。

 

 

 

 

 

 

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こちらはURの集合住宅歴史館に展示されている1958年に完成した「晴海高層アパート」の模型です。設計はコルビュジェの三大弟子のひとりである前川國男。

 

 

 

 

日本住宅公団が高層集合住宅の試金石として建設したものですが、コンクリート打ち放し・プレキャスト部材の採用・三層ごとに廊下を設けるスキップフロア方式・開放された屋上などマルセイユのユニテダビタシオンの特徴的な要素が取り入れられています。

 

 

 

現在は、晴海アイランド・トリトンスクエアに建替えられてしまい実物を見ることができないのが残念です。

 

 

 

コルビュジェのアトリエで学んだ三大弟子、前川國男、坂倉準三、吉阪隆正を筆頭に、コルビュジェの影響を強く受けた丹下健三、安藤忠雄など多くの建築家の代表作にコルビュジェのエスプリが見てとれます。

 

 

 

昭和から現在まで彼らの建築をとうして、日本にはコルビュジェのDNAが脈々と息づいているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

東京/横浜アルキテクト ー(87)ー

 

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   カップ・マルタンの波間に消えたモダニスト   ル・コルビュジェの建築  17

 

 

 

 

マルセイユのユニテに住まう人たちはここをユニテ・ダビタシオンとは呼びません。

 

 

愛着と誇りをこめて「ル・コルビュジェ」と呼んでいます。「私はもう10年もこのコルビュジェに住んでいます・・・」と。

 

 

単身者用から4人家族用まで23タイプの住戸が337戸、スーパーやホテル、ジムや幼稚園まで組み込まれた、1600人もの住人が暮らす垂直に伸びる田園都市。

 

 

市の史的記念物に指定されユネスコの世界遺産への登録準備が進む、コルビュジェが理想的な近代の生活スタイルを想定した集合住宅は、ここに住まう人のみならずマルセイユ中の人々の選り抜きの場所にもなっています。

 

 

 

 

 

 

 

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こちらはユニテを紹介する際によく使われる住戸単位を表す断面図と平面図。「道り」と名付けられた南北にのびる廊下が3層ごとに配置され、それを取り囲むようにメゾネット住戸が置かれています。

 

 

 

 

 

 

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両側から自然光が溢れる明るい住戸とは対照的な「道り」。明と暗のコントラストが素晴らしい。

 

 

 

 

 

 

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当時のデザインのままの住戸。フランスではキッチンは切り離され、屋外に面しているのが一般的で、このようなLDKタイプは現在でも画期的。

 

 

 

 

 

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シャルロット・ペリアンが考案した革新的なオープンキッチン。ペリアンは土間にある台所と食堂が隣接している日本の民家からヒントを得たともいわれています。

 

 

 

 

 

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ブリーズソレイユ越しにはマルセイユの街と地中海が広がる。遠くに見えるのはシテ島かな? 

 

 

 

 

 

 

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住戸の間口は約3.6M、天井高はモデュロールにより2.26M(1.83Mの成人が手の届く高さ)、幅が2Mにも満たないベッドルームは狭そうですが充分機能的。

 

 

 

 

 

 

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ユニテの3.4階にあるホテル「ル・コルビュジェ」の廊下。2層分の窓から差し込む地中海の明るい光。

 

 

 

 

 

 

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格子状のブリーズソレイユとバルコニーのコルビュジェカラーが特徴的なファサード。

 

 

 

 

 

 

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地中海に浮かぶ豪華客船を思わせる屋上庭園。300Mのトラックがコルビュジェのお気に入りだったとか。

 

 

 

 

築60年が経つマルセイユのユニテ・ダビタシオンは、「ル・コルビュジェにどうしても住みたい」、「住民同士の交流が魅力」などの人々でいまも大変な人気物件なのだそうです。

 

 

コルビュジェが描いた理想的な近代生活のための集合住宅は、コルビュジェに共感し、オリジナルの良さを大事にする人々によって輝きを失うことなく大切に守られています。

 

 

 

 

 

 

 

東京/横浜アルキテクト ー(86)ー

 

 

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   カップ・マルタンの波間に消えたモダニスト   ル・コルビュジェの建築  16

 

 

 

 

1952年、フランス第二の都市マルセイユにそのユニテは完成しました。

 

 

フランス政府によって第二次大戦後の復興事業のひとつとして計画された集合住宅。                                                         

 

 

幼稚園、店舗、ホテル、レストラン、ジムなどを内包し、住民が社会生活を営む小さな都市としての機能を持つ337戸のアパルトマン。

 

 

 

 

 

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マルセイユの「ユニテ・ダビタシオン(住居単位)」は、戦後の深刻な住宅問題を解決するために、フランス政府があらゆる建築法規を超越してもいいという特別な条件で、コルビュジェに設計を依頼した実験的集合住宅です。

 

 

 

フランスではマルセイユのユニテ・ダビタシオンのことを一般的に「シテ・ラデュース(輝ける都市)」と呼んでいます。

 

 

 

おもえば1922年の「300万人のための現代都市」から始まる、コルビュジェが長い間、夢見続けていた「輝ける都市」が現実のものとなったのです。

 

 

 

「今度こそ事はなる。過不足ない大きさのユニテ・ダビタシオンが建つのだ。25年にわたる闘いと研究の積み重ねが現実のものとなるのだ・・・」工事着工が近づくにつれ、コルビュジェは喜びに興奮していました。

 

 

 

 

 

 

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しかし、これまでの苦難の道と同様に、保守的なブルジョアジーから非難や抗議がコルビュジェのもとに集中します。「非人間的」、「モルモット小屋」・・・

 

 

 

それらは、あらゆるメディアで繰り広げられ、ついには裁判にまで発展していきます。

 

 

 

 

しかし、コルビュジェは自身が提唱するモダン建築のエッセンスが、今までの生活様式に革命をもたらし新しい時代にふさわしい住空間になると信じて疑いませんでした。

 

 

 

 

 

 

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マルセイユのユニテ・ダビダシオンに見られる、モデュロールやブリーズ・ソレイユなどのコルビュジェ後期の作品の重要なエレメント。 

 

 

 

337戸の住戸を支えるピロティーや豪華客船をイメージさせる屋上庭園 の造形美。

 

 

 

そしてコンクリート打ち放しのブルータルな表現。まさにこのユニテにはコルビュジェのすべてが凝縮されているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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F profile

現在の日本の社会では、「建築=建設業」という短絡的で視野の狭い見方が強く、建築の世界が長い歴史の中で培ってきた、本来の豊かな可能性に接する機会はこれまで意外と少なかったように思います。 そこで、東京・横浜アルキテクトと題して日本の近代建築の足跡をたどりながら、「人間の生活の器」として建築が社会に対して果たすべき使命を考察します。

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