東京/横浜アルキテクト ー(84)ー

 

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   カップ・マルタンの波間に消えたモダニスト   ル・コルビュジェの建築  14

 

 

 

 

 

 

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緑の中に映える純白と宙に浮いたようなフォルムが美しいサヴォア邸。現在も毎日多くの人々がこのヴィラの見学に訪れています。

 

 

 

それにしてもこの保存と管理の状態の良さには驚かされます。とても80余年を経た建物とは思えませんね。

 

 

 

そこには日本にはないフランスの成熟した建築文化があるように思えます。サヴォア邸が完成後どのような軌跡をたどってきたか簡単に振り返ってみましょう。

 

 

 

1939年、第二次世界大戦が勃発するとドイツと連合軍の進駐によってサヴォア邸は占拠されてしまいます。その後長い間放置され荒れ果てた状態が続きました。

 

 

 

そして1965年、ポアッシー市当局はこの荒廃したヴィラを取り壊し、新しく高校を建てることを発表しました。この計画が公表されると世界中の建築家から保存を願う手紙や電報が当時のドゴール政権に届けられます。

 

 

 

コルビュジェ自身も「この建物の良さは草に包まれた自然の中に建っている点にある。一棟だけ建っていることと沈黙の内にあることが、魅力の根本的な理由なのである。」と書簡を送っています。あたかもアクロポリスの丘に建つパルテノンのようにと言いたかったのでしょう。

 

 

 

これを受けた文化省大臣アンドレ・マルローは、その高い文化的重要性を認め、サヴォア邸は国の保護下に置かれ一命を取り止めます。

 

 

 

そして、コルビュジェが死んだその年の12月、サヴォア邸は正式にフランスの歴史的記念建造物に指定され修復が進められました。

 

 

 

 

現在は敷地全体が国の「サヴォア邸保存区域」に指定され、ル・コルビュジェ財団によって管理・修復が行われ良好な状態を保っています。

 

 

 

 

 

 

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サヴォア邸が完成した1930年、最愛の妻となるイボンヌと正式に結婚しフランス国籍も取得したコルビュジェは、「近代建築の五原則」をこのサヴォア邸で開花させ、ヨーロッパだけでなく世界中にその名は知れ渡り、建築家として最も充実した時を迎えたのです。

 

 

 

ニューヨークMOMAで「インターナショナルスタイル」として世界中に紹介されたサヴォア邸。しかしコルビュジェは「新しいスタイルだって?冗談じゃあない。住宅に一般化されたスタイルなどない、アメリカはインターナショナルというガラスケースに陳列して大量消費をさせたいだけだ・・・」と反発します。

 

 

 

自身の作品が世界中で評価され有名になっても、持ち前の反骨精神は失われることはありませんでした。そしてそれはその後のコルビュジェ後期の作品へとつながっていくのです。

 

 

 

 

 

 

 

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現在の日本の社会では、「建築=建設業」という短絡的で視野の狭い見方が強く、建築の世界が長い歴史の中で培ってきた、本来の豊かな可能性に接する機会はこれまで意外と少なかったように思います。 そこで、東京・横浜アルキテクトと題して日本の近代建築の足跡をたどりながら、「人間の生活の器」として建築が社会に対して果たすべき使命を考察します。

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