東京/横浜アルキテクト ー(29)ー

岩崎邸 ー 3 明治を代表する実業家の夢の邸宅
今回は洋館とつながる和館・ビリヤード場などを紹介します。
洋館と渡り廊下でつながれた和館は、完成当時は建坪550坪にも及び、洋館を遥かにしのぐ規模の建物でした。
書院造りを基調とした純和風建築です。施工は政財界の大物たちの屋敷を数多く手がけた棟梁・大河喜十郎です。迎賓館としての性格が強い洋館に対して、和館は岩崎家の日常生活の場として使用されました。明治を代表する日本画家・橋本雅邦の障壁画が残る大広間など、巧緻を極めたつくりは一見の価値があります。しかし、和館の大部分は取り壊され、無神経な鉄筋の建物がすぐ間近にまで迫っています。
写真にある樹木は、久弥がわざわざ中国から取り寄せ、こよなく愛したというモッコクの樹だそうです。
こちらは、洋館と地下通路でつながれているビリヤード場です。当時は外国の賓客をもてなす ためのビリヤード場が必要だったのでしょう。校倉造り風の外壁・彫刻が施された柱・軒を深く出した大屋根など、木造ゴシック調の建物です。
山小屋をおもわせるコテージ風の建築は当時の日本では非常に珍しかったのではないでしょうか。
岩崎邸の屋敷を取り囲む、イギリス積みのレンガ塀も重要文化財に指定されています。こちらは屋敷の北側、東大の龍岡門につながる無縁坂。森鴎外の小説「雁」の舞台になったことでも有名ですね。
そういえば、さだまさしの曲にもありましたよね。
延々と続くレンガ塀と生茂った樹木が、当時の面影を忍ばせます。
頑丈な本郷台地に建つ岩崎邸は、関東大震災にも損傷をうけることなく、岩崎家は広大な庭を被災者に開放し、仮設住宅や飲食の世話をしたそうです。戦後はGHQに接収され、キャノン機関として使用されます。その後の財閥解体によって、屋敷は国に接収され岩崎家は成田に越していきます。
司馬遼太郎は「街道を行く・本郷編」のなかで岩崎邸についてこう語っています。
「この邸は明治国家の勃興を見、その没落を見、敗戦後の荒みまで見たのである・・・」
時代の風が吹き抜ける岩崎邸は、多難なこの平成の時代をどのように見つめているのでしょうか?
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