東京/横浜アルキテクト ー(18)ー

 

 

 

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         銀座煉瓦街  3

 

銀座煉瓦街は関東大震災によって壊滅的な被害を受け廃墟と化します。その後の帝都復興事業により、バラックとなった煉瓦街は一掃され、その生涯を閉じました。昭和60年代になってビルの建設現場から当時の煉瓦街の遺構が発見されます。それによると煉瓦街1区画の大きさは間口3間x奥行き5間の15坪だったそうです。このあたりはもともと入江を埋め立てた場所で、湿気がひどく、壁が多くて窓の少ない煉瓦住宅は当時の日本人の生活にはあまり適さず、住民はまどを大きく改造したり、間取りを変更したりしながら苦心して住んでいたそうです。政府から無理やり押し付けられた煉瓦住宅は当初不人気で空家も多かったようです。

 

しかし、築地の外国人居留地に近く、丸の内・日本橋の政治・経済の2大拠点に隣接した煉瓦街には読売・朝日・報知新聞をはじめとして20紙を超える新聞社が集まり、さらに通信社・雑誌社・出版社も次々と銀座煉瓦街に進出してきました。こうして新しい考え方・新しいニュース・新しい商品が集まる日本一の情報集積&発信基地として銀座煉瓦街は発展していったのです。

 

煉瓦街ジオラマ.jpg

 

これは江戸東京博物館に展示されているジオラマです。当時の銀座煉瓦街のいきいきとした様子が伝わってきますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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現在の日本の社会では、「建築=建設業」という短絡的で視野の狭い見方が強く、建築の世界が長い歴史の中で培ってきた、本来の豊かな可能性に接する機会はこれまで意外と少なかったように思います。 そこで、東京・横浜アルキテクトと題して日本の近代建築の足跡をたどりながら、「人間の生活の器」として建築が社会に対して果たすべき使命を考察します。

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