東京/横浜アルキテクト ー丸の内編(10)ー

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 「丸の内マンハッタン計画」

1965年の東京海上ビル建替え後、丸の内では建物の高さを概ね100Mで抑えるという不文律ができあがっていったようです。

ところが1988年、丸の内の最大の地権者である三菱地所が「丸の内マンハッタン計画」を発表したのを機に、再び景観論争が沸き起こります。

この計画は容積率を世界最高水準の2000%まで引き上げ、丸の内一帯に高さ200M程度の超高層ビル60棟を建設し、同地区を世界有数の国際金融センターにしようというものでしたが、このプランをめぐって再び丸の内の景観に対する大論争が展開されました。

半年後、「大手町・丸の内・有楽町再開発推進協議会」 が設立されこの地区の街づくりの合意形成を探る動きが起こります。その後、都・千代田区・JRも参画する「街づくり懇談会」へと発展し、現在も協議が進められています。

しかし、様々な議論がなされる間にも100Mを超える超高層ビルが次々と建設され、ビジョンなきままの街づくりが進行しているのが現状です。

マンハッタン計画.jpg

 「丸の内マンハッタン計画」のイメージ図。まるで皇居の目の前に墓石が並んだような計画にギョっとしませんか?このプランはおりしもバブルの絶頂期に発表されました。当時のテナント料は一坪60000円

膨大な投資もわずか数年で回収できると踏んでいたようです。まさに経済至上主義の価値観が生んだ産物と言えるでしょう。

 

 

 

 

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現在の日本の社会では、「建築=建設業」という短絡的で視野の狭い見方が強く、建築の世界が長い歴史の中で培ってきた、本来の豊かな可能性に接する機会はこれまで意外と少なかったように思います。 そこで、東京・横浜アルキテクトと題して日本の近代建築の足跡をたどりながら、「人間の生活の器」として建築が社会に対して果たすべき使命を考察します。

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