東京/横浜アルキテクト ー丸の内編(6)ー

丸の内オフィス街の変遷 一丁ロンドンから一丁ニューヨークへ
大正期にはいると、東京駅の開業に合わせて駅前地区の開発がはじまります。馬場先どうりを中心に建設された一丁ロンドンに変わって、東京駅前にはアメリカ発の最新技術による全く新しいタイプのオフィス街が現れることになります。東京駅から内堀に向かって真っ直ぐに伸びる大道り(現在の行幸道り)が整備され、東京海上ビル・三菱本社・日本郵船ビルなどの大型ビルが続々と建設されました。そして大正12年大正期の技術革新の集大成ともいうべき丸ノ内ビルディングが誕生したのです。丸ビルは一般の人たちが自由に出入りできる商業店舗を備えた新しいタイプのオフィスビルでした。これらの建物のデザインは一丁ロンドンの赤レンガ街とは対象的な、石張りや白いタイルで飾られたニューヨークスタイルだったことから、この行幸道りの街並みは「一丁ニューヨーク」と呼ばれるようになります。
そして両者の間でなによりも大きく異なる点はその建築形式にあります。三菱1号館をはじめとする建物はそれぞれの区画ごとに階段を設けたいわゆる「長屋式」のオフィスビルでしたが、東京海上ビルや丸ビルは廊下や階段などを入居者が共有する現在一般的に見られる「アパート式」のオフィスビルの形式をとっています。
これ以降、オフィスビルはこの形式が主流になっていきますが、このことは大正期に日本の都市の社会構造が大きく変化しはじめたことを示しています。たった25年ほどの間にこんなに大きな変化があったとは。 まさに激動の時代だったんですね。
1918年(大正7年)皇居の堀端に建てられた鉄骨鉄筋コンクリート造7階建ての東京海上ビル。
1923年完成鉄骨鉄筋コンクリート造8階建て東京海上ビルの3倍の規模を持つ丸ビル
大正末期の東京駅前。左手前が駅前広場、中央が丸ビル、右側が日本郵船ビル
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