2010年2月
東京/横浜アルキテクト ー丸の内編(6)ー

丸の内オフィス街の変遷 一丁ロンドンから一丁ニューヨークへ
大正期にはいると、東京駅の開業に合わせて駅前地区の開発がはじまります。馬場先どうりを中心に建設された一丁ロンドンに変わって、東京駅前にはアメリカ発の最新技術による全く新しいタイプのオフィス街が現れることになります。東京駅から内堀に向かって真っ直ぐに伸びる大道り(現在の行幸道り)が整備され、東京海上ビル・三菱本社・日本郵船ビルなどの大型ビルが続々と建設されました。そして大正12年大正期の技術革新の集大成ともいうべき丸ノ内ビルディングが誕生したのです。丸ビルは一般の人たちが自由に出入りできる商業店舗を備えた新しいタイプのオフィスビルでした。これらの建物のデザインは一丁ロンドンの赤レンガ街とは対象的な、石張りや白いタイルで飾られたニューヨークスタイルだったことから、この行幸道りの街並みは「一丁ニューヨーク」と呼ばれるようになります。
そして両者の間でなによりも大きく異なる点はその建築形式にあります。三菱1号館をはじめとする建物はそれぞれの区画ごとに階段を設けたいわゆる「長屋式」のオフィスビルでしたが、東京海上ビルや丸ビルは廊下や階段などを入居者が共有する現在一般的に見られる「アパート式」のオフィスビルの形式をとっています。
これ以降、オフィスビルはこの形式が主流になっていきますが、このことは大正期に日本の都市の社会構造が大きく変化しはじめたことを示しています。たった25年ほどの間にこんなに大きな変化があったとは。 まさに激動の時代だったんですね。
1918年(大正7年)皇居の堀端に建てられた鉄骨鉄筋コンクリート造7階建ての東京海上ビル。
1923年完成鉄骨鉄筋コンクリート造8階建て東京海上ビルの3倍の規模を持つ丸ビル
大正末期の東京駅前。左手前が駅前広場、中央が丸ビル、右側が日本郵船ビル
東京/横浜アルキテクト ー丸の内編(5)ー

一丁ロンドンを創った男 「ジョサイア・コンドル」
ジョサイア・コンドルは明治10年(1877年)に明治政府の招きで来日しました。彼はロンドン大学で学び、ゴシック建築の権威であるパージェスの設計事務所で腕を磨き、当時若手の登竜門であったソーン賞設計コンペで優勝しました。24歳の若さでいわゆる「お雇い外国人」として工部大学校造家学科の初代教授に就任し、彼によって日本に本格的な西欧式建築が紹介されました。彼が日本の近代建築の父と呼ばれるのは東京駅や日銀本店を設計した辰野金吾・迎賓館の片山東熊・三菱赤レンガ街に携わった曽ね達蔵など明治期の優れた建築家を育てたからです。(彼らが日本人で始めての建築家です)コンドルが創った建築は赤レンガ街1-3号館・鹿鳴館・ニコライ堂・岩崎邸・三井倶楽部など70棟にもおよびその優美なデザインと完成度の高さは当時の日本に一大センセーションを巻き起こしました。
コンドルは日本文化にも造詣が深く、花柳流の舞踏家前波くめと結婚し、自らは川鍋暁斎に師事し、日本画を学びました。そして1920年(大正9年)68年の生涯を日本で閉じました。今は妻と共に護国寺に静かに眠っています。
東大のキャンパスにはあまり知られてはいませんが、コンドルの像が建てられています。遠くを見つめるその視線の先には、きっと若くして離れ二度と戻ることの無かった故郷ロンドンがあるのでしょう。
東京/横浜アルキテクト丸の内編ー(4)ー

丸の内オフィス街の変遷
明治44年竣工の三菱13号館をもって三菱赤煉瓦街・一丁ロンドンが完成しました。次に計画されたたのが第14号館から20号館です。この時期、鉄骨造・鉄筋コンクリート造といった新技術の大きなうねりが押し寄せ、赤煉瓦街は次第に技術革新の波に巻き込まれていきます。3階建てが限度であった煉瓦造にかわり、エレベーターを備えた大規模で合理的なオフィスが登場し、新旧が混在しボリュームもばらばらの過渡期の時代に突入していきます。
イギリス式からアメリカ式へ、低層から高層へと大正時代の変革によって一丁ロンドンはその姿を変えていかざるを得なかったんですね。
東京/横浜アルキテクト ー丸の内編(3)ー
丸の内初のオフィスビルとして明治27年(1894)に建設されたのが「三菱1号館」(右の一番手前)、大正3年に東京駅が完成する20年も前のこと。設計したのは当時の工部大学校造家学科(後の東大建築学部)の教授で、日本の近代建築の父と呼ばれるイギリス人建築家、J.コンドル。
その後、この馬場先どうりを中心に「三菱13号館」まで赤レンガ造の優美なオフィスビルや集合住宅が次々と建てられ、やがて「一丁ロンドン」と称される街並みが誕生しました。
「三菱1号館」は関東大震災や東京大空襲にも耐えて生き残りましたが、高度成長下の近代的なオフィス需要の高まりの中、昭和43年(1968)に取り壊され74年の歴史に幕を閉じました。 下の写真は近頃復元された「三菱1号館」、残されたわずか数枚の設計資料から蘇らせるのは大変な仕事だったでしょう。しかし、いかに素晴らしい出来栄えでも建物が刻んできた歴史の重みは再現のしようが無いですよね。4月には美術館としてオープンするそうですから興味のある方は僕と一緒に当時の「一丁ロンドン」に想いをはせてみませんか。
